こんにちは。ユージーン(@Eugene_no2)です!
以前、仕事でミスをおかし、取引先に大迷惑をかけてしまった事がありました。
大人になってこんなに怒られることある?ってくらい、怒鳴られたりもしました。
でも最終的に救われたのは「仕事を憎んで人を憎まず」という取引先からの言葉。
今でもとても印象に残っているので、ご紹介。
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仕事で大ミス。とにかく落ち込んだ
社会人になって4年目くらいの頃。仕事も覚え、ひとり立ちし、一人前に仕事がデキる気になっていました。
そんな奢りもあったのかも知れません。
あるとき、大事な連絡をし忘れるという、超凡ミスをしでかし、取引先に大迷惑をかけてしまいました。

電話越しで、取引先の担当者から怒鳴り散らされ、わたしは間違いなく電話にも関わらず、頭を下げまくっていたと思います。
翌日には、上司・役員まで連れて謝罪。そこでも激しく怒られ、当然社内からも怒られ…。
本当に凹み、しばらく落ち込んでいました。
そんなに怒られ、他人に迷惑をかけたこたなんて、いままでの自分の人生で無いくらいだったのですよね。
取引先から最後に言われた言葉
その数ヶ月後、わたしはその取引先の担当を外れることになりました。
ミスの責任を取ってというわけではなく、単に配置換えではあったのですが、わたしはこれから仕事で挽回しようと意気込んでいた頃でした。
しかしそれも叶わず、取引先に申し訳無い気持ちを残したまま、引継ぎ挨拶のために、後任担当者とともに、取引先を訪れました。
たぶん、わたしはここでも常に申し訳なさそうにしていたのが、取引先に伝わったんでしょうね。
最後に電話越しに怒鳴られた、取引先の担当者から、こんな一言を言われたのです。
仕事を憎んで、人を憎まずですから、経験を糧にして下さい。またいつか一緒に仕事が出来るといいですね。
わたしは思わず、涙が出そうになりました。
心遣いだけでももの凄くありがたかったのですが、「仕事を憎んで人を憎まず」という言葉に、わたしは心を救われたんです。
「仕事を憎んで人を憎まず」の意味とは?
実は、引継ぎ挨拶時にこの言葉を言われたときには、瞬時に意味を理解することが出来ませんでした。
勘の良い方は分かると思いますが、これは「罪を憎んで人を憎まず」という言葉を由来にしたものです。
罪を憎んで人を憎まずとは、犯した罪は憎むべきだが、その人が罪を犯すまでには事情もあったのだろうから、罪を犯した人そのものまで憎んではいけないという教え。
(引用:故事ことわざ辞典)
つまり、「仕事を憎んで人を憎まず」とは、わたしのした仕事やそのミスについては憎むべきものだが、あなた自身を憎んではいないよ、ということです。

この言葉の意味を理解するまで、わたしは自分自身の未熟さを責めていました。
当然、取引先からも憎まれてる、責められてると思い込み、苦しんでいました。それくらい、怒鳴られましたからね。
でもこの言葉を聞いて、理解して、
ああ、あれだけ怒鳴られて叱られたのは、自分の「仕事ぶり」についてであって、自分自身の人間を否定されたわけじゃなかったんだ。
と思う事ができたとき、心がふっと軽くなったことを覚えています。
そして、ダメだった「仕事ぶり」に目を向けることができ、同じことを繰り返さないためにどうすればいいか、自分の中で消化する事ができたんです。
仕事で人間が否定されることなんて無い
今振り返って冷静に考えれば、仕事はしょせん、たかが仕事でしかなくて、仕事によって人間性が否定されることなんて、あるはずがない、と思えます。
でも、現実には、指導する立場の人間も、指導される立場の人間も、「怒る」と「叱る」の違いが分かっていないことが多いなと感じます。
「怒る」は感情の表現、「叱る」は指導の方法。わたしはそう考えます。
「怒り」は時に相手の人間性を否定してしまう可能性、あるいは人間性を否定されたと感じてしまう可能性がある。
だからわたしは、今では上の立場に立つことも増えましたが、部下がミスをしても、叱ることはしますが、怒ることはしないと決めています。
そう、ミスした部下の「仕事を憎んで、人を憎まず」ということです。